ひとりごと1

プロと
アマの
あいだ

 俳優にとって舞台に立てるということはスゴイことで、セリフをもらえるなんてもっとスゴイこと。テレビも映画も同様。でも、テレビに関してはあまりにも身近になりすぎて、出演者側と観る側との距離感がなくなりつつある。
 映画俳優が銀幕のスターと言われた時代ははるか遠く、現実にはテレビ界で稼ぐ人間がどんどん増え、映画中心に働いている人間はひとにぎり。スタッフに関しても状況は同じで、日本映画界の斜陽化を物語っている。
 映画界を離れた俳優たちは、好き嫌いに関係なく「芸の安売り」「切り売り」をするしかなく、映画界に戻れない連中、いや、戻ったとしても輝くことができなくなった俳優たちが数多くいることは間違いない。
 
 食っていかなくてはならない現実は理解できるが、夢を与える職業だという自負を持ち続けて欲しいものだ。
 いづれにせよ、テレビ文化が映画産業を圧迫したことは明らかで、お茶の間文化としてのテレビが、素人を平気で画面に露出できるという風潮が生まれ、今や当たり前のようにアマチュアがプロの現場に出入りしているのが現実である。たとえば一歩譲って、今はギャラをとることはできないが、いつかはプロの俳優になりたいと思っている二軍三軍の連中が、明日の糧としてノーギャラで働くことは大いに歓迎する。が、単に興味本位、あるいはボランティアという名の下に、責任を負わずにプロの現場に参加するというのは、作品向上の視点から見て、あまりにも問題が大きい。制作側も予算があるなら訳の分からない素人を起用するはずもなく、やむを得ず参加させているというのが実態だ。
しかし、アマチュアはあくまでアマチュアであり、責任が無いポジションとしてのボランティアの人たちには、演出側も手厳しく演技を指示できるはずもなく、「まあ、こんなもんで仕方がない」と、半ば諦め気分になってしまうのも当然だ。この状態では、良い作品が生まれるはずもなく、プロとして考えるにつけ、とても残念なことである。
この構造を変えるのは、より良質の人材の発見、教育しかないだろう。その教育機関が、この北海道にはまったくゼロに等しいといっても過言ではない。このことこそが、最大の問題点であり、何よりも急務と考えるべきである。目先の経済効果よりも人材育成に力を注ぐ方が、長期的に考えても北海道の資源となり得ることは明白だろう。映画は夢を売る商売だから、夢の作り手を育てることにだったら夢と希望が感じられるのだ。